学校では教えてくれない第二次世界大戦
前回の記事に続いて今回もフィリピンに行ったときのお話です
マニラに住む友人に案内してもらいながら向かったのが
フィリピンの英雄ホセ・リサールの記念館
ホセ・リサールという人物はフィリピンがスペインからの独立のために
立ち上がりますが、道半ばに捕まり銃殺刑となってしまいます。
その3年後にリサールの後を継いだ者たちにより
フィリピンはスペインからの独立を成し遂げるのであります。
彼は何がすごいって医学士を取得しながら20ヶ国語近くを約5年間で習得
留学の経由地として日本に滞在履歴もあり日本語も話せ、日比谷公園には彼の像もあります。
彼は言語さえ話せれば世界中どこでも働くことができるってことを
私たちに教えてくれた人物なのです!!
今日はこのホセ・リサールさんのお話ではないためこの辺で終わりにして
本題に移ります!!
ホセ・リサール記念館はサンチャゴ要塞っていう観光地の敷地内にあるのですが
このサンチャゴ要塞は第二次世界大戦次に日本軍の重要な拠点で
アメリカ軍と衝突した場所でもあります。
この側には地下牢もあって側には大きな川が流れてます。
この地下牢にフィリピン人を閉じ込め満潮時に彼らを水死させていました。
そもそもフィリピンが戦地に?と思いますが
1942年に日本軍がアメリカの植民地だったフィリピンに侵攻しマニラを占領。
フィリピン国民はアメリカ軍側に付き日本軍に対抗し
関係のない多くのフィリピン人が亡くなりました。
当時フィリピンでアメリカ軍の指揮をとってたのがあのマッカーサーで
日本に占領されたためアメリカ軍は撤退します。
その時にマッカーサーが言ったのがあの有名な
「I shall return(私は戻ってくる)」と言ったんですね😆
学校の教育では日本は第二次世界大戦の敗戦国で広島、長崎に原爆を落とされた被爆国と教わる事が多く
日本かアジア各国で行ってしまった残虐は授業ではあまり取り扱われません。
これはフィリピンに限ったことではなくアジアのいろいろな国で
行われていた忘れてはいけない悲しい歴史です。
ただ、だからといって東南アジアの人々は反日かと言われたらそうでもないですよね
前回の記事にも書きましたがフィリピンには高層ビルや高速道路が次々にでき
そして2025年にはマニラに地下鉄が開通する予定です。
これらは戦後日本が支払った賠償金、そして多くの技術支援によってできたものも
多くあります。
こうした日本が行なった支援も学校の授業ではなかなか教わりませんが
日本人として知っておかなければならないことではないでしょうか
旅行の際には日本で見るものとは違った戦争の爪痕なんかも見て回ると勉強になりますよね
あとはフィリピンがなぜキリスト教なのか、英語が話せるのかなんかも
その国の歴史を調べたら分かるので面白なと思いました。
とりあえずホセ・リサールさんを目指そう!!
明日から仕事最悪です。。。
最後まで読んでいただきありがとうございました